>>長文過ぎ
>>1【 3年生に進級 】
この2年間で
どれ程多くのフェラチオ、イマラオチオをした事だろう。
どれ程多くのを排尿、スペルマを飲まされた事だろうか。
そして何度アナルを突かれスペルマを体内に放出された事だろう。
非人間的な扱いの毎日だが、私の身体は奴隷扱いされる事に馴染んでいた。
後1年で自らに仮せた奴隷研修が終わる、その様に思うと嬉しくも有り寂しくも有った。
宿泊実習終了
3年生の宿泊当番は1人と定められていた。
実質の宿泊調教の機会は無くなった。
不良達(御主人様)との関係も女装性処理専用便器だけ、まるでスペルマ受容器だ。
多分女性がアナルを征服される何倍も、男の性処理に使われる男奴隷は惨めで屈辱的なはずだ。
三年生の一年間は自縛訓練に没頭する毎日だった。
一般女性をマゾ女に導く有効的な手法を心理、肉体的負荷を考慮して手順化した。
手順化した内容は自らの肉体で検証し訂正を加えた。
調教プランの概略
優しく誘い、無理のない適度な苦痛と羞恥を与え、必ず褒める。
褒められない部分は○○だと良いね、次回頑張ろうと諭す。
奴隷にやる気を引き出させる。
最後には快楽、喜びを与える。
マゾ奴隷作成プランの概略は完成した。
卒業
調教アルバムを買い取る日が来た。
皆で写真を眺め、私が当時は言えなかった辛さを写真毎に説明した。
御前が居て楽しかったと言われ、アルバムを買い取った。
これまでの調教に感謝の意味を込めて最後の助言をした、厳しく躾けるだけでは牝奴隷を持てません、頑張って下さいと。
私の高校生活は終わった。
卒業後は同窓会にも参加せず、彼らと合う事も無い。
そして今、私には十数年調教を継続している美しい牝奴隷が居る。
勿論、妻では無く奴隷契約を交わした女だ。
美人で素直で健気なため、愛情が芽生え彼女件奴隷として使っている。
SMは私と彼女奴隷を結ぶ強い繋がりの一助となっている。
SとMの立場は違うが、互いを認め合ってこそ成立する関係がSM行為である。
>>1【 宿泊実習 その6 】吊るし2
宿舎に向かう車の中で、今夜、吊るされる事が私に課せられた使命と心得た。
自分に迷いは無い、吊るされたい願望が今叶う、凄く楽しみだ。
私は拘束されて服従される事も好きだか。
宿舎の室内:
奴隷の身体には何時もの自縛縄もアナル栓も無い、全裸にセーラー服を纏っただけの女子高生擬きだ。
水平吊り
私は緊縛師に身を任せた女性モデルの気分でマゾ女に成り切った。
手首は後ろ手に縛られ、胸縄を掛けて天井に引き上げられると身体が浮き爪先立ち、ウエストを縛られた縄も天井に引き上げられ、直角に前傾した御辞儀姿勢となり爪先も宙に浮いた(写真撮影)。
空中に揺れた私は右脚の膝頭を縛られた、その縄は足首に回されて縛られると天井に、左脚も同じ縛りで天井に吊られた。
私は床と水平になり空中に吊り上げられ水平吊り完成(写真撮影)。
吊るされたい願望が叶い幸せだったが、縛りが下手(縄の締め付けが均等で無い為)な為に痛すぎ。
私は吊りの実体験より、将来女性を吊るす場合の注意ポイントを会得した。
逆さ吊り
私は今回、奴隷件監督的な立場だ。
左右の足首を縛った縄を天井の上部まで引き上げて逆さに吊るして下さいと告げた。
床に最も近い身体の部位は頭となり逆さ吊り成功(写真撮影)。
一直線の逆さ吊りに変形成功、スカートは捲れ男性器を晒したセーラー服姿だ(写真撮影)。
落ちたら死ぬかも…最高の体験に思えた。
足首が取れそうな程に痛みは強い、だが、私は満足感に包まれて幸せだった。
吊るされる厳しさと喜びを体感した。
開脚逆さ吊り
一直線に逆さ吊りを更に変形。
セーラー服で逆さ吊りの私が、次の指示を出す。
吊り上げた足首の何方か一方を横に大きくスライドさせて固定して下さい。
緊縛奴隷の私は気分が高揚しており、奴隷を忘れ御主人様を使っていた。
私の身体は硬いが開脚限界まで股間を開かれました、開脚逆さ吊りの完成(写真撮影)。
頭がボーっとして気持ち良くて痛みを忘れます。
片脚逆さ吊り
更に吊り姿変更、吊り上げた足首の何方か一方を外して下さい。
少し間が空きました(御主人様達は危険を察知して躊躇したのでしょう)、私は薄れる意識の中で御願いです、片脚逆さ吊りにしてーと頼みました。
片側の足首の縄が外されて片脚逆さ吊り完成(写真撮影)、片脚だけで宙を舞い、クルクルと回転しました。
幸せと喜びで一杯でしたが後の記憶は有りません。
気が付くと床に居ました、足首が焼かれる様な痛みとズキンと鈍い骨の痛みを感じました。
結果:限度を超えた無茶をして自分の肉体を傷付けた、しかし傷付いても悔いは無かった満足出来たから。
また、御願いしたい気持ちで一杯だった。
肉体の限界に達して居た為、奉仕はアナルだけで許して貰いました。
まるで、レイプ後の女子高生姿の様でした(写真撮影)。
>>1【 宿泊実習 その5 】吊るし
御主人様気分の彼らにも縛り(結び方)を覚える事が必要になりました。
奴隷を吊るすと言うのです、今までの様に適当な駒結びでは無理なのです。
人(奴隷)を吊るすのです。
体重により解けても(落下)、絞まり過ぎても(重大な肉体の損傷)駄目です。
私(奴隷)の緊縛知識と会得技術より、彼らには八の字縛りと雌雄縛りを訓練して貰いました。
どちらが御主人様なのか逆転現象が起こっていたのは確かです。
まず、手始めにM字開脚吊りを試します。
万が一、落下しても頭を打つ可能性が低いからです。
私は人生初の吊りを受けます、縄だけで空中に浮くのです。
苦痛に対する恐怖は有りました、出来ると自分に言い聞かせます。
これまでも拷問的な苦痛を与えられて耐えてきたのです出来ない訳は有りません。
胸縄縛りの縄尻を天井の梁に結ばれ(写真撮影)、天井から下りた縄に右膝も吊るさ(片膝吊り完成)れます(写真撮影)。
重心を支える左足の膝が吊るされたならM字開脚吊りの完成。
左膝を御主人様に抱え上げられて身体は浮きました。
左膝のロープがピンと張られ、抱え上げて居た御主人様が離れ一人宙に浮き(写真撮影)ます。
縄が肌に食い込む痛みは尋常では有りませんが、吊り奴隷に成れた高揚感が上回ります。
これが吊るされる痛み、感覚何だと…知りました。
吊るした奴隷の扱いは御主人様に委ねられます。
ブランコだと前後に揺すられました。
アナルに入れたいと言い出し、挿入もされました。
空中挿入です(写真撮影)、前方向に突かれるとブランコ状態の身体は反動で後方に戻ります。
全員がアナル内にスペルマを放出し終えると、私も吊りから下ろされ解散就寝。
>>1【 連射式打ち上げ花火 】
打ち上げは花火でしょう。
御主人様の命令に従って、首輪とリードを装着しました(写真撮影)。
リードを引かれ宿舎を出て(写真撮影)、御決りの防風林に向かいました。
到着すると体育座りにされ(写真撮影)、右手首と右足首を一纏めに拘束、左手首と左足首も同様に縛られました(写真撮影)。
不意に御尻を持ち上げられると前方に倒されました。
頬と膝から爪先が地面に付いた姿勢です(写真撮影)。
奴隷の尻に連射式打ち上げ花火の筒が押し込まれ(写真撮影)、点火。
私は尻穴が焼けて排泄が出来なくなる恐怖に襲われて居ました。
花火は無情にも、シュン、シュンと発射音を響かせ夜空に打ち上がります(写真撮影)。
花火の筒は打ち上げ終了と共に尻穴から抜かれました。
御主人様:どうだ、男の言い成りになる気分は。
奴隷:気持ちいいです。
恐怖から解放され、男の言い成りになる有り得ない存在。
惨め過ぎて快感を得ました。
御主人様が靴の底で私の男性器をシゴキます、極限状態に追い込まれた後の私はそれを快楽に感じ射精してしまいました。
拘束された手首足首の緊縛を解かれ、長い夜は終わりました。
>>1【 傘立て 】
奴隷はセーラー服にてキャンドルスタンド(寝姿の股覗き)体勢を維持したままです。
アナルの蝋燭は抜かれました、アナルには代わりに傘を差し込まれ(写真撮影)ました。
傘は垂直に刺さって居ますが、体勢を少しでも傾けると直腸を掻き回される辛さに襲われるのです。
奴隷の悲痛な表情と卑猥な姿、アナルに差し込んだ傘を添え支える御主人様の手が(写真撮影)されました。
【 花瓶 】
傘の次はアナル花瓶でした。
各部屋に有る造花が集められました。
奴隷の体勢は相変わらず、両肩の上に膝頭を付けて丸まった姿(女性の体位で言うならマングリ返し)のままです。
彼らに力尽くで、差し込まれては腸に穴を空けられてしまいます。
自分で入れさせて下さいと申し出ます、御主人様はやれと一言。
造花を自らのアナルに活けて行きます、一本また一本と活けて花が咲きました(写真撮影)。
【 机 】
御主人様:立ち上がれ、脱げ ⇒ 奴隷:全裸立ち
御主人様:四つん這いに成れ ⇒ 奴隷:四つん這い
背中の上で教科書を開き、奴隷が全裸で机にされている姿を(写真撮影)した。
【 股縄綱渡り 】
部屋の端から端にロープが二本渡された、途中には幾つかの結びコブが有り、その高さは腰の位置程度だった(写真撮影)。
後ろ手(両手首を背中の後ろで縛られ)に縛られてロープを跨がされたのです。
そして、股間に渡された二本のロープの間に男性器を挟まれました、男性器の左右にロープの有る状態です(写真撮影)。
女性の調教で言い表すならば股縄綱渡り状態です。
御主人様:歩けと命令が発せられます。
奴隷:股間に食い込み男性器の根元を擦る縄を進みます、部屋の端に到達すると後退です(写真撮影)。
中央で歩みを止めました、それが命令だったから。
そして、御主人様全員からの一斉打撃(ムチ)を浴びせられました(写真撮影)。
>>1【 蝋燭立て 】
床に転がる奴隷に指示が飛ぶ。
立たなくて良いから出来るだろー。
御主人様:
天井を向いて寝ろ(仰向け)、身体を丸めて肩の上に膝を付け。
奴隷:
直ぐに無理です、足が痛くて感覚が有りません。
御主人様:
他の御主人様に向かって手伝ってやれ。
奴隷の私は両足首を持たれて身体を丸められ、肩の上に膝を付ける体勢になれました。
体勢を維持しろ、崩すな。
その体勢は:頚背部のみが床に付き、尻は天井に向き、膝から爪先までが顔の横で床に付いた姿勢だ(写真撮影)。
言い換えるなら寝姿での股覗きのような姿だ。
これを咥えろ、奴隷の口にロウソクを入れます、御主人様はアナル栓の人参も抜かれ代わりにロウソクが入れられました(写真撮影)。
御前はセーラー服の蝋燭立て(キャンドルスタンド)だ。
口とアナルに刺された蝋燭にライターの炎が点火されます(写真撮影)。
部屋の電気は消され蝋燭の炎でリラクゼーション。
その間にも溶けた蝋燭が頬を伝います、アナルの蝋燭も溶けて男性器に流れました(写真撮影)。
突然、尻も叩かれました。
序でだから尻叩きパーティーもしよう、一人が言いました。
シーン、賛同の声は有りません。
すると、突然に尻を打たれビックリ 無言の賛同が有ったのだ。
手で殴れば殴った御主人様の手も痛みます、彼らはスリッパを使いました。
奴隷の私は尻を跳ね上げる様に震えながら耐えました。
尻叩きパーティーが終わり蝋燭は消され抜かれました。
奴隷の私は既に肉体も精神も疲れ果てて居ました。
【続: 空気椅子調教 】
奴隷として扱われているが、私にはSの部分とMの部分の人格が有りす。
私の中のS性が、私の中のM性に言います、奴隷の自覚が有るのなら耐えろ。
御主人様の時間を頂いているのだ、御主人様の命令に従えない位なら奴隷を辞めろ。
確かに奴隷は従順に服従するべきです。
疲労で足元がプルプルと痙攣して居ました、床に崩れ落ちたいとも思いました。
しかし、自分のM性が甘えた考えを許しません。
耐えろ、耐えろ、まだ意識が有るのだから耐えろと自らを励ましました。
どれ程の時間が経過したのかは不明ですが、煙草の火は燃え突きました。
奴隷の大腿部上に置かれたグラスは全て退けられました。
奴隷で有る私の大腿部上からにグラスが無くなり、椅子としての利用が可能と成りました。
そこに御主人様が座ります。
御主人様が膝上に腰を掛けます、次いで足を宙に浮かせ全体重を浴びせテンカウント。
5人全員に繰り返されました。
途中で潰れて御主人様を床に転がす事だけは奴隷として絶対に出来ません。
5人目の御主人様が膝から下りられた時、私は尻から床に落ちました(写真撮影)。
私は思いました。良かった、床に転がったのが奴隷だけで…
もう、自力では立ち上がれません。
写真に写った自分の姿を見る限りでは、セーラー服の女子高生がレイプされた後の様でした。
>>1【 空気椅子調教 】調教と言うよりもリンチ
奴主人様:
空気椅子になれ、運動部所属で無い私は言葉を聞いた事が有りましたが如何なる姿なのか解りませんでした。
背中を壁に密着させろ、膝を直角に曲げろ。
奴隷:
御言葉に従いポージングしました。
爪先はもっと前に出せ、尻の位置はもっと下、直角も解らんか馬鹿野郎。
御主人様の意図する姿に成らない奴隷が、気に入らなかったのでしょう。
ビタン、ビタン、 頭が左右に揺れ、頬には痺れと熱を帯びた痛みが残りました。
往復ビンタをされたのです、その反動で奴隷の私は床に倒れ込んでしまいました。
大急ぎで空気椅子ポーズに戻り、理解力が低くて申し訳有りませんと詫びました。
再指導されました。爪先は前、尻の位置はもっと下だ。
私は更に爪先を前に出し、尻位置を下げました。
脹脛は痺れ痙攣して居る感覚(実際に痙攣して居たかは不明)です。
この姿勢の維持は数分が限界だと直ぐに解りました。
御主人様の一人が奴隷の大腿部上に飲み物の入ったグラスを置かれ(撮影)ました。
他の4人も大腿部上に飲み物を乗せます、御主人様の飲み物を落とせる訳無いよな。
言葉には出しませんが、姿勢を崩すなとの命令なのです。
私の口に小さく丸めたハンドタオルが押し込まれました、
更に、ハンドタオルを吐き出さない様に縄を口に咬ませ頚部の後ろで縛り止められ(写真撮影)ました。
小さく丸めたハンドタオルは口の中で元の形状に戻ろうとして大きく形状を変えます(息苦しい)。
そう、奴隷は追い落とされる事で限界まで鍛えられます、そして奴隷は更なる限界に挑まされるのです。
その繰り返しにより、一般人では不可能な行為も可能とする奴隷へと成長するのです。
調教は毎回が奴隷の成長する為の試練です。
御主人様達がタバコを吸い出し、その煙に私は咽ました(私はタバコを吸った事が無かったから)。
その吸いかけのタバコは奴隷の私の左右の鼻に各一本が差し込まれ(写真撮影)ました。
吸い終わるまでの間(正確には燃え尽きるまで)、空気椅子と呼ばれる体制の維持を定められたのです。
>>1【 宿泊実習 その4 】家具奴隷
御主人様:
明日は家具調教だ、ソフトだから御前には物足らないかも知れないが頑張れよと言い渡されました。
奴隷:
感謝の言葉…。
宿泊当日の夜、集合して居た御主人様達の中心(取り囲まれた状態)に立ち、失礼致しますと告げ奴隷の私は着衣を脱ぎ捨てます。
全裸ですが恥ずかしさは随分前から感じなく成っていました。
御主人様達と私だけの空間において、私が全裸なのは当然と自覚して居たからです。
御主人様:
今から命令する体位になり、戻れと言うまで姿勢を保て、まず常時持参しているセーラー服を着て偽女子高生に成れ、言葉は女言葉を使えと命じられました。
奴隷:
承知致しました、心行くまで御利用頂き楽しんで頂けます様に精一杯尽くしますので御躾願いますと告げ、急いでセーラー服を着用し偽女子高生に変身、その直後に土下座。
常時着用義務のアナル栓と股縄亀甲姿を確認、首下剃毛状況も確認された後、本日の課題調教を頂く事に成りました。
奴隷として尽くす為に御主人様達に不快感を与えてはいけません。
首下剃毛は奴隷として最も心掛けている項目でした、触感はつるつる素肌で女性を感じて貰える姿(股間の剃毛済み突起物さえ無ければ)です。
>>1【 宿泊実習 その3 】追加忍耐テスト
前回予定の忍耐テストがまだ終了していないため、私は残りを実施される事に。
御主人様:
抱き石し責めは前回で終了だ、明日は錘責めだ。
奴隷:
とにかく返事と御礼だ(ハイ!宜しく御願いしますと反応して答えて居ました)。
前回調教の傷跡は消えていませんが、傷跡を押さえない限り痛まない程度に回復して居ました。
調教当日の夜、全裸にされて股縄亀甲とアナル栓をチエック、その後は豚舎に連れて行かれて鉄柵に磔状態とされ緊縛固定されました。
その姿は両手両足を左右に大きく開いた大の字磔です、自縛の股縄亀甲とアナル栓もそのままでした。
晒し者の奴隷姿も撮影されました。
奴隷である私の男性器を縛り上げ、反対の縄尻にはレンガが結ばれました。
結ばれたレンガは御主人様の手に握られています(写真撮影)。
そのレンガは御主人様の手を滑り落下、私の性器は鈍痛と共にレンガの重さで床側に引き延ばされて、股間と床の間で空中に揺れて居ました(写真撮影)。
更に両耳と唇、舌ベラと鼻の穴に紐付きの洗濯バサミを挟まれました。
乳首はゴム紐で縛られ(写真撮影)ました、身体の各所が痛みます。
それにしても準備周到なものだ、御主人様方は奴隷調教が余程楽しいのだろう。
皆が調教師気取りだ。
突然の顔面痛、両耳と唇、舌ベラと鼻の穴に付けられた洗濯バサミの紐を御主人様全員が一斉に引いたのです。
さらに、乳首のゴム紐も引き伸ばされました。
延ばされたゴム紐は一斉に放たれて顔面と乳首目掛けて戻り、パチンと僅かな音、チクリとする痛みを与えられ身体がピクリと反応しました。
ゴムの引き伸ばし距離は徐々に後方になり(写真撮影)放たれる痛みも増して居ました。
ダメージの蓄積されていく乳首を目掛けて何度も何度も繰り返したのです。
最後は奴隷で有る私に自らカウントダウンさせたのです。
5、4、3、2、1 御願いします(ビシィィー)引き延ばされたゴム紐は腫れて大きくなった乳頭に打ち込まれました。
苦痛に振るえる私を見て御主人様が乳首責め終了宣言。
同時に男性器に吊るされたレンガも外され一安心。
しかし、その直後に私はアーアアー、アーと叫んだのです。
男性器から外されたレンガがブロックに変わり股間に揺れている(写真撮影)では有りませんか。
データを収集する冷酷な御主人様
御主人様:
レンガもブロックも吊るし可能、男性器って頑丈だなー。良し、ブロック追加。
奴隷:
冗談じゃない、御前らならブロック一つだって無理だぞ!(心の声)。
泣き付きました、追加はとても無理です、どうかお許し下さい。
御主人様:
根性無いなー、じゃあバケツ。
奴隷の男性器にブロック一つと空のバケツが吊るされました、当然ですがブロックが一つの時と重量変化は有りませんでした。
限界ギリギリと思われる苦痛で止まり、助かったと思った瞬間の事でした。
何と私の前に液体入りのペットボトル(500 ml )5本が並べられ、正面には姿見の鏡も置かれました。
一本が500 g × 5本=2.5 kgです。
エ〜、ブロックの方が軽量では有りませんか(嵌められた)。
そして、一本がバケツの中に入れられました。
私は薄汚れた豚舎の天井を見つめ耐えます。
正面に目をやった時、そこには荒い呼吸で脂汗を光らせる醜い姿(自分)が有りました。
そして更に一本、また一本とバケツの中に追加されす。
計3本(約1.5 kg)とブロック1つで私の男性器は引き伸ばし限界です。
御主人様、折角準備して頂いた調教ですが未熟な奴隷の私は限界です、とても耐えられません、どうか御許し下さい、御許し下さいと必死に御願いしました。
男性器が無残に伸ばされ錘を吊るされた姿(写真撮影)の調教が終了し、磔緊縛の縄(両手、両足首)を解かれました。
そして、部屋に戻る事が許されたのです。
私は部屋を出た時と同じ姿(全裸に股縄亀甲、アナル栓付き)で部屋に戻りました。
部屋に戻ると次は反省会です、御主人様(リーダー)の部屋に集合。
私が部屋に入ると、自縛縄と挿入物を全て外せとの命令。
私は股縄亀甲を解き、アナル栓の人参を抜き、一縄も纏わぬ全裸になりました。
四つん這い命令に従い、犬姿勢に成ると御主人様全員の性処理肉便器として使われました。
反省会などとは名ばかり、有り余る性欲を収める儀式です。
性処理女装肉便器奴隷はペニスを咥え、腰を振り全員のスペルマを体内に取り込みました。
奴隷の私は口もアナルも利用頂き、スペルマまで頂けて大変光栄です真に有り難う御座いましたと御礼を述べ、今後も御利用を御願い致します…奴隷の決まり台詞を告げた。
勿論、自分の言葉では有りません、彼らが決めたセリフを述べただけです。
アナルに人参を挿入し、股縄亀甲を施し(御疲れ様でしたと頭下)自分の部屋に戻り就寝しました。
翌朝も口とアナルを提供してスペルマを体内に受け入れ性処理を終えました。
そして、何時もの様に学校に戻り、何も無かった様に装って授業を受ける毎日でした。
>>1【 宿泊実習 その2 】忍耐テスト
御主人様から明日の課題は忍耐テストだと聞かされました。
私はテスト???…判らないが、とにかく御礼の言葉だ。
何時も有り難う御座います、精一杯頑張りますので躾下さいと御願い申し上げました。
私は二年に進級した時点で既に御主人様方を認めて居ました。
私を奴隷として躾て利用して下さる方、私の服従心は日に日に増大していました。
夜、奴隷の私はリーダーの部屋に呼ばれました。
室内には見慣れない大きな箱が有りましたが、私は気にもせず全裸になり男性器まで惨めに縛り込んだ亀甲姿を晒し、身体検査を御願いしました。
全身剃毛、アナル(人参)栓、緊縛の食い込み具合、全て合格。
御主人様:
今日の科目は忍耐テストだ、覚悟出来ているな。
奴隷:
ハイ。
床に角材が並べられました(写真撮影)、角材は約10? 間隔(計った訳では有りません)です。
角材の後方に立たされた私は両足首を一纏めに縛られ歩行の自由を失いました(写真撮影)、両手首も背中の後ろに縛られ両手の自由も奪われ(写真撮影)ました。
御主人様から、並べられた角材の上に正座しろと命令。
自由の利かぬ身体では如何に頑張ろうとも上手に座れないと感じました、直ぐに手を貸して下さいと御願いしました。
奴隷の私は爪先で方向を変えてその場に正座しました。
そして、自分を持ち上げて角材に載せて下さいと御願いしたのです。
絶対に嫌な事、逃げ出したい事なのに受け入れてしまう、自分は奴隷に相応しいのでしょう。
抱き抱えられて膝立ちに座らされ膝裏に物干竿を挟まされた後に正座させられ(写真撮影)ました。
脛に角材が食い込み耐えがたい痛みが下半身を襲いました。
しかし、奴隷を自負する以上、私は耐えなくてはいけません。
本当は直ぐにでも、もう耐えられません、下ろして下さい、許して下さいと叫びたい気持ちでしたが、その気持ちとは真逆の言葉を発していました。
御願いします口を縛って言葉を奪って下さい。
そうされないと、苦痛に負けて泣き言を言ってしまうから…私は愚かな事に自ら逃げ道を自ら封じたのです。
御主人様はハンドタオルを口に押し込み、その上からロープを咬ませ後頭部で結んで下さいました(写真撮影)。
これにより例え叫んでも下級生の宿舎に悲鳴は届きません、自分の無様で哀れな秘密が守れたのです。
それと、引き換えに許しを願う唯一の手段(言葉)を失ったのでした。
何かを得る為には何かを失う。
そうです、私が奴隷で有る事を隠す為に、自ら現状継続(拷問)を選んだのです。
角材の上に正座、これは完全に拷問です。
その後も角材に乗せられ状態のまま座り続けました、倒れ込めば逃れられると御主人様は言います。
自分で判断しろとの意味でしょう。
暫くすると足は痺れ痛みが消えて行きました。
膝裏に当てがわれた洗濯棹の効果です、たぶん感覚が麻痺したのでしょう(涙)。
項垂れて目を伏せ許される事を願って居た時、突然に大腿部が押え付けられました。
ブロックが乗せられたのです。
一つ、二つ、三つ、四つブロックは私の顔の高さに達したのです。
助けて下さいと叫びましたが…呻き声が漏れるだけです。
そこには鼻水を垂らし、涙を流す変態の奴隷の姿が有りました(写真撮影)。
自分でも呆れる位の根性無しだと認めます、あれ程まで奴隷を頑張ると決意したのに駄目な奴隷です。
御主人様が奴隷の髪を掴み、ブロックの上に座ると言い出しました。
愕然としました、無理、無理、無理 …しかし、自ら言葉の封印を御願いした事で逃れる術も有りません。
3分耐えたら解放だそうです。
高校生男子の体重(凡そ60kg前後)が浴びせられます。
脚が潰れてしまいます、助けて下さいと心で叫びましたが無駄な事は奴隷の私が一番解っていました。
御主人様が座られました、上半身が震える様に暴れました。
それを見た他の御主人様は私の片を押え付けながら支えました。
気絶したのかも知れません、気が付くと角材の横に転がされて居ました。
オツカレ、良い写真が撮れたぞ。
こんなの見た事無いよなー、凄いぞ、やったー!!
御前凄いなー、凄いよと絶賛されました。
私の脚は角材の食い込んだ痕が赤黒く刻まれており一部は出血しています。
歩くどころか立ち上がる事も出来ません。
少しでも動かそうと試みますが激痛に負けてしまいます。
この日も床で寝る以外有りませんでした。
翌朝、膝下はドス黒い痣だらけ、腫れて居ましたが、歩行はギリ可能(痛みに耐えて)でした。
傷跡をズボンで隠して学校に戻ると当日(○○年○○月○○日)の休暇届(体調不良)を提出し休校しました。
病院には行けません、家に居れば親に心配を掛けてしまいます。
帰宅途中の公園の奥で自然回復を待ちました。
あくる朝も何時もの様に学校に行くと見せかけて、家を出たのですが実際には川沿いの公園で3日間傷を癒しました。
この間も御主人様に対する軽蔑や仕返しなど少しも考えません、むしろ拷問に耐えた自分の身体が愛おしくて嬉しく満足でした。
>>1【 余談 】補足
私は卒業まで下着着用を許されて居ません、そして首下剃毛と股縄亀甲縛り(自縛)が義務付けられて居ます。
その為、男性器(ペニス、睾丸)は亀甲縛りの縄の間に挟み込んで日常を過ごす毎日でした。
水泳の授業が有る日には、前夜から水泳が終わるまで、(緊縛痕を発見されない為の配慮)亀甲縛りを免除して貰っていました。
クラスの皆は私達の行為を黙認し、見て見ぬふり、知らぬふりを決め込んで居ます。
そう、ここは奴隷の私が躾けられて居るクラスなのです。
>>1【 宿泊実習 その1 】埋める
取り決めに従い、明日の課題(埋める)を聞かされました。
訳が解りません、これでは知らされた意味も有りません。
でも将来、自分が奴隷の気持ちが判る御主人様に成る為に、今は奴隷に成り切り過酷さに耐え遣り遂げるだけです。
農業実習である家畜の世話を終えると、奴隷で有る私(ある意味、家畜以下)の調教が始められます。
実習作業を終えた奴隷の私は足早に宿舎に戻り、部屋で作業服を脱ぎ自ら首輪を装着して御主人様が戻られるのを待ちます。
奴隷の姿はアナル(尻穴)に人参を挿入し、自縛をギッチギチに施し縄が肌に食い込む股縄亀甲姿です。
苦しくて痛いのですが、少しでも縄が緩いと検査時に叱られるから、強めの自縛を自らに施して過ごして居ました。
ドアをノックして御主人様が奴隷を迎えに来ました。
御挨拶:未熟な奴隷ですが御調教の程宜しく御願い申し上げます、土下座姿勢のまま頭下。
リードを付けられた奴隷の私は背後に穴掘り用のスコップを背負う形に縛られて、夕刻の学校内施設を御主人様に取り囲まれて歩きました。
私からは宿泊当番の下級生の作業姿が見えました、私の姿は御主人様に取り囲まれて居る為に下級生からは見えなかったと思います。
下級生との遭遇は偶然でしたが、羞恥プレイを受けた様な気分に陥り、物凄く恥ずかしかった事を覚えて居ます。
羞恥心が込み上げて気が動転した為、防風林を抜け海に到着するまでの間は記憶が有りません。
我に帰った時には砂浜の上で立ち竦んで居ました。
背負わされていたスコップは身体から外され、私に渡されました。
御主人様:
直径1メートル、深さも1メートルの穴を掘れ。
奴隷:
ハイ、砂浜に自分が埋められる穴を自分で(奴隷なのだから仕方ない)掘りました。
掘り上がった時には日没でした。
深さからして、男性器が露出する程度の穴だと推察しましたが違いました。
御主人様は穴に入り正座しろ、と命じられたのです。
はい、と答えて穴の中に正座しました(写真撮影)。
すると奴隷の私が掘った砂で穴を埋められ(写真撮影)てしまいました。
調教課題である埋める、の意味が判りました。
たかが砂と考えていましたが、実際は重いのと同時に身体を締め付けピクリとも動けません(驚愕)。
砂は胸も圧泊して呼通常吸も厳しい状態でした、仕方なく小刻みな呼吸を繰り返し
砂の圧泊に対処しました。
砂地からは首から上だけが出た状態です、風に舞った砂が頬を叩き痛く辛かったです。
仕打ちを与えるだけの御主人様達は奴隷の辛さなど解りません、砂に埋もれた奴隷の口にペニスを押し込み(写真撮影)、奉仕を求めます、何時もより下手だと評価されました。
当然です、埋められた事により全身が砂に押え付けられて、前後のストローク(浅く深く)が出来ないのです。
私が動かせるのは舌だけ、舌を必死に使い5人全てのペニスをシャブリました、そして精飲も終えたのです。
しかし、その判定は下手くそ、不合格。
私は頭にバケツを被せられ(写真撮影)、月明りさえも届かぬ暗闇に身を置かれました。
奴隷の私に対して吐き捨てられた御主人様の御言葉は、朝まで反省しろとの言い付けでした。
話し声は少しずつ遠のき、やがて波音だけしか聞こえなくなって居ました。
砂に埋められて放置、まるでリンチです。
彼ら(御主人様)の調教とは過酷に扱い従わせる事、自分本意(間違った調教)なのです。
自力脱出不可能な完全放置下に置かれ(虚しく、心細く、情け無かった)人生で一番長い夜を過ごしました。
気が付くと波の音が荒く大きく聞こえます、そして被せられたバケツにボツボツと叩き付ける音が…雨でした。
どれだけの時間が経過したのか不明ですが、人の声が聞こえました。
更に不安感が増します。
全裸で縛られた少年が砂に埋められて居たなんて、他人に知れたなら退学処分が相当です。
徐々に身体を締め付ける砂が軽くなっていきました。
頼むから私に気付かないで放置して欲しいと願った瞬間、穴から引き出されました。
顔だけは、顔だけは見ないで下さいと呼掛けました。
馬鹿と言われ、バケツを外されると御主人様が助けに来てくれたのだと知り(安堵)嬉しくなりました。
宿舎に帰るぞと一声、傘を差す御主人様の最後尾を雨に打たれ歩きました。
宿舎に辿り着いた時には肌に付着した砂(亀甲縛りの縄目に入り込んだ砂以外)も大粒の雨により流されていました。
就寝
私は首輪装着でアナルに人参を挿入した全裸股縄亀甲姿でしたが更に両手首を背面で拘束されました。
そして、御主人様の部屋で床に寝かされ(写真撮影)ました(海よりは助かります)。
翌朝は学校の作業も、奴隷としての身体を差し出す行為も免除されました。
学校の作業は御主人様が済ませてくれました(心遣いが凄く嬉しかった)。
つまり、追い込んで追い落とした後に少し優しさを与えられると…自分を追い落とした相手に感謝(憎まれていない限り)するのだと知りました。
学校に戻りましたが、睡魔に襲われ授業は耳に入りませんでした。
>>1【 その後の学園生活 】
亀甲縛り継続期限の一週間が経過しました。
これまで、トイレも風呂も縄付きで過ごした日々から解放されるのです。
縄を解かれると身体が軽くなった気がしましたが、縄に馴染んだ身体は逆に違和を感じた程でした。
御主人様:明日からは自縛して来い、出来るな。
奴隷:はい。
帰宅後、ホームセンターのロープ売り場に向かい自分を縛る縄を選びました。
SMファンの私は緊縛に用いる縄は麻縄が一般的であるとの知識を得て居ましたので迷わず購入し、急いで帰宅しました。
麻縄を6メートルに切断すると、3本が用意出来ました。
次は自分に縄を掛け亀甲縛りを完成させなくてはいけません。
SM写真集の縛られた女性を真似て自縛訓練。
購入したばかりの縄は巻き癖も有り、素人(ガキ)の私には扱いが困難でした。
出来ないで許される事では無い為、数時間掛けて試行錯誤の末に自分を股縄亀甲に仕上げる事に成功しました(喜)。
その後は縛りを習得すべく股縄亀甲を解き、また縛る、を何度も繰り返し練習しました。
縄はチクチクと肌に刺さりましたが、自分の中のS性がM性に対して耐えろと命令します。
この夜は縛られた女性の気分に浸り緊縛状態の痛みを楽しみながら就寝しました。
人間を縛る縄(特に麻縄)はなめし処理を施して使用するのが一般的です。
私には縄をなめす時間的な余裕が有りません、御主人様達はSM知識が有りません。
つまり、今後もなめし処理されない縄で私は縛られるのです。
チクチクと肌を刺す感覚に成れる以外無いのでした。
私は奴隷です、校舎内での扱われ方は卒業まで変わらず性処理女装の緊縛奴隷でした、そのため以後の校舎内での扱は記載を割愛して宿泊実習での調教を中心に紹介致します。
奴隷として特定の御主人様達に仕えますが、御主人様達も私も同姓愛者では有りません。
私は将来、自分が御主人様となり、他人の調教を行うに必要な調教学習(奴隷の気持ちを知る)として奴隷研修と位置付け辛く惨めな調教を受け続けました。
将来牝奴隷を所有する御主人様に成る、その目標が有ったからこそ奴隷調教に耐えられたのだと実感して居ます。
御主人様達も将来SMを楽しむ為の調教練習が目的でした。
奴隷と御主人様の立場こそ違えましたが、将来の目標は同じだったのです。
その後の調教も悲惨でした、SM雑誌の女性が出来る事なら、高校生の雄の女装マゾも出来て当然と定められ、今まで以上に被虐的に扱われたのです。
>>1私感:
奴隷にされて、痛み、恥辱、精神的な苦痛およびその他の感覚を実感出来たから…今では奴隷を学ぶ為の良い勉強になって居たからです。
もしも勘違いされて居なければ、別の誰かが今の私に(犠牲者)させられて居たでしょう。
そして、私は御主人様側に加わったに違い有りません。
被害者を出さない為にも、私が奴隷にされて良かったのです。
私は中学性の時から愛する女性を奴隷にする事を考えて居たのです。
男の私でも辛すぎる調教、女子高生が同じ目に合わされたなら耐えられない事でしょう。
私は当然の報いを受けなければいけません、自ら抱いていた誤り(未遂とは言え)を自らの肉体で償おうと決意したのです。
そして、何時の日か奴隷願望の女性を探し当て、自分の体験した調教を基に女性の気持ちに寄り添った牝奴隷を調教する事に決めました。
彼らが居なければ調教は受けられません。
彼らの存在が無ければ奴隷心理も学べません、今に自分には御主人様達が貴重な存在で有ると知りました。
宿泊実習日の朝、実習作業を終え御主人様達の性処理を済ませます。
学校に戻り授業、昼は亀甲縛りの上にセーラー服姿となり性処理をしました。
>>1【 入浴 】
奴隷の私はシャワーを浴びる許可を頂けました。
緊縛姿で蝋燭を浴びせられた姿のままシャワー室に向かいました。
ところが、御主人様達も後を追って来ます。
御主人様達は奴隷の私を壁に押し付けシャワーを浴びせます(写真撮影)。
次いで、デッキブラシで全身を擦り(写真撮影)蝋燭を剥がして下さいました。
デッキブラシで擦られた痕はシャワーを浴びせられました。
ヒーィィー、肌が焼ける様な痛み。
デッキブラシの硬い毛先は肌を擦過させるに十分な効果を発揮しました。
そもそも、人間を洗う道具では有りません、私が非人間(奴隷)でも酷い仕打ちです。
私は睾丸を縛り上げたロープを外されましたが、亀甲縛りは1週間継続し続ける事が義務付けられました。
パンツを穿く事も卒業まで禁止と決められました。
自性行為も御主人様の許可を得ない限り禁止。
奴隷の私だけが部屋に戻り休む様に命じられた為、一足先に浴室から自室に移動しました。
【 カミングアウト 】
私が奴隷で有る事、奴隷にされた事は事実です。
不良達が怖い訳でも、変態を暴露される事が怖い訳でも有りません。
勿論、男が好きな訳でも有りません。
私はSMが好きなのです、彼らの奴隷は嫌ですが、ノーマルに戻るのは更にイヤなのです。
つまり奴隷の心理、立場、苦痛、被虐、服従などを学びたいのです、その為に彼らを利用して奴隷経験を積んだのです。
だから卒業まで奴隷としての服従し肉体と精神を提供し続けたのです。
これまで御主人様を同年、同性だと思って来ましたが間違いだと気が付きました。
男性器を咥え、シャブリ、アナル(SEX)を突かれ、精飲、飲尿する、私と御主人様が同じ訳が有りませんでした(大反省)。
正常な男なら女性を求めて当然です、御主人様達は女性を求めて居ます。
欲求を剥き出しの高校男子(過激では有りますがノーマル)です、奴隷の私は女性の代わりに扱われる疑似女体(アブノーマル)なのです。
私は不良達のリーダー(御主人様)の部屋に向かい、自らの過去をカミングアウトしました。
自分が中学時代からSM雑誌(写真集)を見て居た事。
中学時代は彼女を縛り上げて調教をする幻想を抱いて居た事。
自縛しながら女を調教している幻想を繰り返しては自性行為に耽っていた事。
今、我が身に行われる調教は自分が他人に行いたかった行為で有る事。
御主人様指向だった私が、今では御主人様達の奴隷指向で有る事etc。
全てを打ち明け聞いて貰いました。
御主人様が言いました、入学当初に私が(奴隷にされる前)SM雑誌を購入する場面を何度か見たと。
そして、サディスト思考の私をマゾだと勘違いした事。
そうです、私はマゾと勘違いされ奴隷にされたのです。
しかし、それで良かったのです。
>>1【 反省会 】
部屋に戻れば各自の自由時間ですが、この夜は不良達(御主人様)のリーダーに集合を掛けられリーダーの部屋に集まる事になりました。
奴隷の私が部屋の前に立った時に室内からは御主人様達の歓談する声が聞こえました。
ドアをノックして扉を開け、失礼致します入室しても宜しいでしょうかと伺い扉を締めました。
部屋には円を描いた様に5つの椅子が配置されて御主人様達は既に着席されていました。
裸に成って円の中心に座れと命じられたので、命じられた姿となり挨拶(失礼しますと一言告げて)円の中心に入り土下座と頭下を続けました。
私の姿は防風林調教から戻った、蝋燭まみれの緊縛状態です。
奴隷の私は何時もの如く、口とアナルを使われての性処理と本日の不甲斐なさを説教されるのだと覚悟して居ました。
御主人様達のリーダーが言いました、誰か馬舎に行って人参を一本貰って来い。
俺が行って来ると一人が出て行きました。
また、良からぬ事を企んでいるので無いかと不安。
戻った御主人様は:おい頭上げろと言い、手にした人参を奴隷に渡されました。
私は入れろと命じられ、アナルに人参を挿入し塞ぎました。
この夜、予想に反して奴隷の口もアナルも使われずに済みました。
今後について
御主人様達の奴隷使用に関する制約が決められたのでした。
切る、刺す、入れ墨、火傷はさせない事とする。
卒業後は奴隷を解放し、過去を口外しない事。
奴隷調教を記録したデータアルバムは卒業日に奴隷が買い取る事(貯金要す)。
次回調教の内容を奴隷(調教前日まで)に知らせる:例えば、ムチと蝋燭など。
奴隷の私から御願いをしました、アナル舐めや食糞など健康被害が生ずる行為を受けない様にと…しねぇーよ、馬鹿と了解して貰えました。
但し奴隷が従順でない場合は躾直すぞと御言葉を頂きました。
解散、私は助かったと安堵。
自分の身に何が行われるのかを知ると知らぬでは心境に大きな違いが有るからだ。
私は有り難う御座いますと頭下した(過去の御礼はハード調教を逃れる為の口先だけの御礼だが、今回は心からの感謝の言葉だった)。
>>1【 暗闇調教 】
防風林の松の木に磔にされた奴隷(私)は縄を解かれると、砂地に膝間付き(写真撮影)ました。
そして、背中の後ろに拘束された両手首の解放を御願いしたのです。
膝間付き体勢でも身体を支えきれない程疲労して居たから。
両手を解放され砂地に両手を付け、身体を支えます(写真撮影)。
その姿は項垂れた犬として写真撮影されました。
御主人様達は更なる調教計画を練って居た様子ですが、奴隷の鮮度が悪いと面白くないからなと相談され、宿舎に帰り奴隷の私を休ませる事と成りました。
私の身体には洗濯バサミに挟まれた痕と鞭打ちによる痣が残り、ペニスは腫れてヒリヒリと痛み熱を帯びて居ました。
【 蛍犬と蝋燭責め 】
宿舎までの帰り道は犬として四つん這い(四足歩行)を命じられました。
首輪装着に全裸亀甲縛り、そして睾丸を縛った縄尻は主様の手中でリード代わり、アナルの人参は捨てられ別の何かを挿入されました。
絶対に落とすなよ、とだけ言われました。
同じく口にも咥えさせられました、太目の何かです。
すると、奴隷の目にも数個の炎が確認出来ました、咥えた物はアナルも口も蝋燭だったのです。
蝋燭に点火、咥えた蝋燭の明かりが闇夜を照らし出します(写真撮影)、この炎を頼りに歩かされます。
先頭を進む御主人様が一人、私の睾丸を引き千切る程強くロープを引かれ歩きます。
四つん這い歩行の私は二足歩行で歩む御主人様のスピードに着いていけずに何度か転倒(写真撮影)しました。
イヤ違います、故意に転倒させられたのだと思います。
犬歩きする私の周りには他の御主人様が四方(右前、右後方、左前。左後方)に炎の付いた蝋燭を持って位置取りしていました。
その炎の位置は私の身体の上です。
溶けた蝋燭は自然と奴隷で有る私の背中、尻、ふくらはぎへと垂れて落ちます(写真撮影)。
冷えた身体に落ちる蝋燭は一滴落ちる毎にチクリ、チクリと刺される様な痛みです、止む事の無い苦痛に襲われながらも必死で歩きました。
泣き言を言っても、責められる時間が超過し自分が辛いだけです。
時間の超過は多くの蝋燭を浴びる結果と成るだけです、現状を逃れる為には一刻も早く宿舎に辿り着く以外に無いのです。
必死に歩き宿舎の外門まで辿り着きました(写真撮影)。
睾丸は縛られたまま、亀甲縛りも解かれません、浴びせられた蝋燭も処置されません。
惨めな姿を隠す為に実習服を着せられて宿舎に入りました。
調教は凄く辛くて厳しいものでしたが、それ以上に(有り得ない変態姿が人目にさらされる)恐怖を感じました。
写真撮影のフラッシュ、蝋燭に照らし出された姿態がそれです。
本当は暗闇を歩かされる方が断然に楽だったと思えます。
>>1【 全裸磔晒し 】
防風林に到着した時は夕暮れ時でしたが、私は松の木に縛られ(写真撮影)ました。
直ぐに日は沈み辺りを暗闇が覆います、睾丸をロープで結ばれ亀甲縛り、首輪を付けた全裸男、アナルには御決りの人参が挿入されたままです。
奴隷にされた私は磔姿のまま、月明かりの下で晒されたのです。
波の音や風切音も私の羞恥心を責め立てました。
こんな人間離れした惨めな姿を見られたら恥ずかしい、言葉も無い。
しかし、これがプロローグに過ぎない事だとは…まだ知りもしませんでした。
【 洗濯バサミ責めと鞭打ち 】
松の木に縛られた全裸の変態男の私は、洗濯バサミを乳首と睾丸の袋(皮膚)、男性器(ペニス)および亀頭(ペニスの先)に満遍無く付けられました。
乳首周りには上部と下部、右と左に各一つ、乳首の付け根も垂直(合計5コ)に挟まれていました(乳首には左右で10コの洗濯バサミに挟まれました)。
そして、乳首に花が咲いたと楽しんで(写真撮影)いました。
御主人様達は乳首を綺麗に飾って貰えて嬉しいだろう、いいな〜、羨ましいぞと馬鹿にして笑います。
奴隷の私に洗濯バサミを付けた御主人様は自分の掌に洗濯バサミを挟み痛く無いぞ、これなら朝まで耐えられると口にします。
場所が違うだろう…私は言いかけた言葉を飲み込みました、言うだけ無駄だから。
御主人様達は男性器も飾ろうぜと言い、洗濯バサミを一人一つずつ交代で挟み込んで行きます。
ロープで結ばれた睾丸の皮膚を引き伸ばし、装着される洗濯バサミの1つ1つが私の性器を痛め付け責め立てました。
睾丸が洗濯バサミに埋もれた状態を(写真撮影)、御主人様から自分の目で確認する様に命令されて覗きました。
言葉も有りません悲しくて黙り込んでしまい、御礼の言葉を言い忘れた程です。
奴隷は御主人様に対して、礼儀正しさと丁寧な言葉遣いを忘れるなと躾られて居たのですが…御礼の言葉を忘れてしまったのです。
御主人様からは罰としてペニスにも必要だなと、挟んで遣るから有り難く反省しろと威圧。
御礼の言葉:有り難う御座います、洗濯バサミを沢山付けて下さい、是非御願い致しますと述べました。
罰なんて言い掛りです、どの道ペニスに洗濯バサミは付けられたはずなのです。
ペニスの皮膚を引き伸ばし次々と洗濯バサミが挟まれてペニスは埋め尽くされ(写真撮影)ました。
まだ、スペースが有ると亀頭を指さされ、亀頭周辺(傘の下部分)を一周する様に洗濯バサミを挟まれ(写真撮影)、亀頭中央は左右から挟まれ(写真撮影)、尿道口も左右から各1つずつが付けられ(写真撮影)ました(当時、尿道口を挟まれるのは非常に痛かったです)。
奴隷である私の性器は大輪の花が咲いた様に洗濯バサミで飾られ(写真撮影)、男性器の所在すら確認出来ませんでした。
フラッシュ撮影され、新たに奴隷アルバムに載せる事が決定しました。
実話、本仕打ち(扱い)を、私はこれまでの奴隷経験からを想定して居ました。
来る時が来た、只それだけの事と自分に言い聞かせて耐えて居たのです。
頑張って選択バサミに挟まれる痛みに耐えましたが、時間と共に痛みが増し耐えられなくなります、御主人様に御許しを願い出ました。
御願い致します、どうか御許し下さい。
私が未熟なばかりに素敵な装飾に耐えられません、御許し下さい。
御主人様が奴隷の私を取り囲みました。
では、洗濯バサミを外す儀式を始めるぞと掛け声を発しました。
奴隷の私は何の事なのか訳が解りません、儀式、え〜、何…?
御主人様達は自分のベルトを抜き二つ折りにして一斉連打、(ビシー、バシー、バチン)まるでシャワーの放水の様に鞭が飛んできます、洗濯バサミは飛び散り奴隷で有る私の身体から外れました(写真撮影)。
>>1【 宿泊実習 】
三年性は就職や受験で忙しいので、下級生に口出しする人は稀である。
その代わりに二年生は自由だった。
宿泊実習も同年二人(ペアー)が従事するのが基本だ。
しかし、私の時には不良達(御主人様)全員(5人)が来るのだ。
私を含めて合計で6人。
宿泊実習は授業の一貫なので基本的に希望者は宿泊実習可能なのだ。
そして、この時から私はSM(緊縛)調教にも使われる事に成ったのでした。
SM雑誌(女性モデル)の写真姿を奴隷である私で再現される羽目に…
理由は同じ人間なのだから出来ない事も無いだろうと安易な考えからだ。
雑誌のM女はプロだ、身体も柔軟で日々の実践経験の中で鍛えられた女性だ。
私は身体も硬く実践経験も無い、御主人様も私も素人だ、その上に技術も知識も無いのだ、再現など無理だ。
だが、それを伝えたとしても聞き入れ無い事は明らかだ。
何故なら、如何に苦しくても、痛くても、それを受けるのは奴隷。
御主人様の身体は痛まないからだ。
幸か不幸か、施設内には縄、錘など家畜を飼育するために必要な物は揃っていたのだ。
御主人様達にとって幸、奴隷にとっては不幸だ。
実習作業は通常2人で行うのだ、今回は6人がかりだから直ぐに終了した。
残りの時間は自分が全裸で縛り上げられる為に使われるのだ。
【 全裸緊縛引き回し 】
セーラー服も持参していたが、命令は全裸だ。
手始めに、両手首を背中の後ろで縛られ両手の自由を奪われた。
そして、私は亀甲縛りの練習台に使われた。
御主人様達は試行錯誤しながら亀甲縛りを完成(写真撮影)。
私は首輪も装着(写真撮影)された。
さらに、股間の睾丸だけを縛り縄尻は御主人様の手に納め(写真撮影)られた。
歩かされるのだと悟りました。
海岸沿いの防風林に向かって引き立てられました、歩みを止めたり、歩行速度を遅らせたりすると、睾丸に繋がれたロープを力一杯引かれ(写真撮影)ます。
遅れなくても面白半分で睾丸を引き延ばされ幾度か苦悶(睾丸を蹴られた痛みと同じ)しながら歩きました。
>>1【 二年生に進級 】
口もアナルも改造され、女装便器奴隷に変えられた私も二年生に進級しました。
奴隷扱いも後二年の辛抱です。
只、奴隷扱いを受けた事により心境の変化は有ります。
奴隷として使われている今が嫌では無くなっていたのです。
世の中にはペニスを求める男も稀に居るだろう、その人達が求めて得られない物を自分は毎日与えられている。
高校生のペニスを毎日受け入れられる、これは貴重な喜ぶべき体験なのかも。
同年代の同姓から性奴隷扱いされる奴は居ないだろう、だとしたら誰も出来ない貴重な体験が出来ている自分は幸せかもと捉える事もとの心境に達していた。
苦しみの中の喜び、痛みの中の快楽、恥辱の中の快感、プライドを粉砕されるスリル、不自由な制約の下で仕える満足感‐‐‐どれも捨てがたい快楽だ。
不良達(御主人様達)が居なければ男性器を口にする事などは無かった。
望んだ訳では無いが、奴隷の楽しみを得られる身体に一年で変えられたのは確かだ。
私に奴隷の気質が有ったか否かは別としても、この頃には次の調教を期待して待つ様に成っていた。
【 変わらぬ教室 】
教室は一年の時と同じ、同じ机、同じ顔触れであった、クラスのプレートだけが二年に掛け替えられただけ、卒業した三年生のクラスは一年のプレートが掛けられた。
従って暗幕内で行われる奴隷の私に対する扱いも行為にも別に変わりはなかった。
使用方法のプチ変更
奴隷の私はセーラー服姿で口とアナルを弄ばれ続けてが、スカートを捲られ露出した尻を(平手、スリッパ、ベルトなど)殴られる様に成って居た。
殴る事で奴隷のアナルが絞まり挿入者(御主人様)の快楽が増すらしいのだ。
唇奉仕は殴られる痛みを耐え凌ぎ、射精後のスペルマを飲み終えるまで咥えたペニスを抜く事は許されない。
途中でフェラチオを辞めたりペニスを吐き出したりしたなら御主人様への反逆行為と捉えられる。
罰として私が最も嫌う食糞をさせられるかも知れないのだ、だから絶対に途中では辞められなかった。
一方、アナルは一方的に突かれるだけなので御自由に御使い下さいって物だ。
一人が口を突き、一人がアナルを突く、残りの三人が殴り役だ、合わせて5人の御主人様で総掛かり調教が教室での躾となった。
奴隷はアナルを突かれると全身が前方に突き出される、その反動で口に咥えたペニスは咽喉奥まで挿入(イマラオチオ)となる。
事が済めば土下座にて御礼を述べる、皆様有り難う御座います、またの御利用を心待ちに致しております(頭下)。
そして、セーラー服から学生服に着替え授業を受け、月日は過ぎて行った。
>>1【 成績表 】
私には学業の成績表の他に奴隷としての成績表(実績記録)が有る。
日付付きの写真に実施内容の詳細が記載されたアルバムだ。
アルバムには可能行為と書かれた書類が有り、内容はこれまで仕込まれた行為と御主人様評価が記載されていた。
顔面シャワー(スペルマ浴びせ)
フェラチオ (男性器を口で満足させる)
御掃除フェラ(射精後の男性器を舌で綺麗にする)
イマラオチオ(男性器にて咽喉まで押し込み可能)
飲精 (放出したスペルマを飲み込む)
飲尿 (口に咥えた男性器からの排尿を溢さず飲み込む)
浣腸 (水道水を2000 ml 腸内に貯える事が可能)
拡張 (人参挿入により拡張中)
アナルSEX (男性器が挿入可能なまで改造済み)
睾丸蹴り (開脚立ちさせて金玉を蹴り耐えさせる)
私の使用説明書が出来ていた。
今後は使用説明書に何が追加されるのだろう、如何なる仕打ちを受け、如何に変えられるのだろう…私は奴隷で有る今、男子高校生のとして失う物は既に無かった。
【 女装 】
偽女子高生、奴隷の私は身長170 cm 体重52 kg ウエスト53 cm 撫肩、声変わりはしたものの高音で女声。電話では女の子と間違われる事も多かった。
女性体型と言っても過言では無かった。
不良達(御主人様)の一人が女子高生のセーラー服を持ち込んで来たのだ、何をしたいのか一目で判断出来ました。
そう、女にされるのです。
正直、セーラー服を着てみたい願望は以前より有ったので嫌では有りません。
問題はサイズです、男が女の服を着る…いくら何でもサイズが合わないだろうと不良を(頭の中で)馬鹿にしていました。
しかし、何と痩せ気味の私は着用出来て(嬉しかった)しまったのです。
仮名:(やらせたい よう) に御似合いだと罵られ、御主人様の奴隷を努める 朝、昼、宿泊実習の夜に着用を義務付けられました。
口腔とアナルに同時挿入されている写真とセーラー服姿の女装写真が奴隷アルバムに追加さた。
想い起せば中学時代にブルマやスクール水着などの忘れものを拝借し、着衣しながら女性気分で汚される場面を想像し、簡単な自縛をしながら自性行為におよび性欲を満たして居ました。
自分が中学時代に妄想した女を玩具にする願望。
今は高校生に成った自分が玩具の女性役を強要されている、それは過去の罪(女性軽視)に対する罰なのかも知れない。
>>1【 互いの気持ち 】
御主人様から浣腸もアナル栓による拡張も、全てがアナルを使われる今日の為だと、知らされました。
浣腸による腸内洗浄は挿入された御主人様達のペニスを汚さない為。
アナル栓による拡張は何時でも挿入出来る様に対応させる為に行った行為だそうである。
なるほど、奴隷を計画的に肉体改造する為のカリキュラムだったのだと知りました。
奴隷の私もアナルSEXに使われる覚悟はしていましたと伝えた、卒業まで二年も有るのです、拒んでも拒み切れないだろうと解っていました。
まさか、今日とは思いませんでしたと伝えた。
明日の朝も御前の尻を使うから、そのつもりで居ろと告げられ就寝。
翌朝、実習作業を終え朝食を済ませ学校に戻る準備も済ませた。
私は御主人様に許可を得ずに腸内洗浄を三回行った。
そして二人でトイレに入る、奴隷の私はズボンとパンツを下ろし、アナル栓代わりの人参を抜く。
御主人様のペニスを舐め回し勃起させると四つん這いになり、膝を延ばして挿入しやすいポーズをとった。
御主人様の逞しいペニスが挿入され一連の行為が終わり、学校の授業に向かった。
【 宿泊実習を終えて 】
教室に戻ると御主人様達の性処理を行う、以前は屈辱的で嫌な行為だったが約一年も続くと慣れた物だ。
非道な環境に順応し、咥える、飲むは当然に思えていた。
不良のリーダーから他の不良仲間たちに、昨日のアナルSEXと首下全身剃毛報告がされた。
不良達は嘘、マジでと楽し気だった。次俺が奴隷と宿泊実習などと順番を決めていた。
その日から御主人様達はA組2人とB組3人に組分けし、奴隷の口とアナルの両方を1日1回使い回す計画を立てて居たのだ。
朝、口に挿入した組は昼にアナルに挿入と決めた。
奴隷の私には何ら関係の無い決め事だ、自分の身体を汚される事に変わり無いのだから。
ただ、全てを口で処理して来た今までと異なり口の疲労度が減る事は助かる。
代わりにアナルを捧げなくてはいけないが、苦痛が分散される方が有り難い。
この日の昼から奴隷のアナルは教室の暗幕内で突き倒された。
全裸にされ、全身剃毛を確認され、女みたいだなと罵倒されてアナルを突かれた。
不良達は気持ち良いと喜んで、何度もスペルマを中に出した。
首下全身剃毛の男がアナルに男性器を突き刺されている写真を撮影された。
>>1【 アナルSEX 】
冬の夜、着衣ですら寒かったが全裸になるように命じられた。
奴隷を自覚している私は全裸になり、寒さに震えながら宜しく御願い致しますと頭を下げた。
調教開始、私は両手首を縛られ、目の前の牧柵に括り付けられたのです。
両脚は開脚、御尻は後方に突き出す形、腰まで頭を下げた御辞儀姿勢とされた。
そして、私は鼻先に差し出された御主人様の温かなペニスを咥えたのです。
通常は射精終了まで口を離す事の許されない口腔奉仕ですが、ペニスが増大した時、御主人様自らが口から抜いた。
更に私の御尻を塞ぐアナル栓代わりの人参を引抜かれたのです。
御主人様の増大した温かなペニスは拡張された私のアナルを埋めたのです。
アナルSEXです、同年の同姓に突かれたのです。
乱暴にガツン、ガツンと嵌められました。
御主人様から気持ち良いぞと褒められながら、奴隷の私は突かれ続けられました。
最初は痛かったのですが、アナルを突かれながらも少しだけ快感を覚えたのも事実でした。
強制的に汚されて、惨めだがドキドキして興奮を感じたのは事実だ。
そして、アナル内にスペルマが放出され挿入が終わった。
アナルSEX初体験、男に犯される男の誕生だ。
御主人様のペニスには当然の如く奴隷の糞便が付着し汚れていました。
奴隷の私は快楽を与えられた喜びから、糞便の付着した御主人様のペニスを御掃除フェラしたのです。
糞便を口にする事を拒んでいたのに、身体は反応していました。
両手首の拘束を解かれた時、肉体の総てを奪われたと悟りました。
着衣を終え、アナル栓代わりの人参を拾い宿泊棟に戻りました。
就寝前に入浴です、御主人様と入浴し股間の陰毛と腋毛を全て剃られました。
そして命令です、首下全ての毛を剃れと言うのです。
最早、私は只の奴隷でしか有りません、男のプライドは粉砕され皆無です。
御主人様の提案に対してハイと返答し全身剃毛奴隷となる事を誓いました。
人参を洗浄し再びアナルに納め、就寝時間まで御主人様と雑談しました。
>>1【 宿泊実習 】
自分の課では動物の飼育管理を行う為に宿泊実習が月に2回程有った。
必ず誰かが当番となります、その順番は交代制の持ち廻りでした。
私はアナル拡張が終わり、アナル栓の代わりに人参その物を挿入されて日常を過ごしていた。
季節は冬:宿泊実習の当番は各自の都合で交代が可能である。
不良達は私の当番日にスケジュールを合わせたのだ。
不良達は一晩中調教を行い、私が使われる事は明らかだった。
私は覚悟を決めて不良のリーダーと宿泊実習に向かった。
動物の飼育管理施設は周辺家屋への臭気などを配慮して、民家から離れた海沿いの広大な敷地に造られており宿泊棟はその中央に立てられて有った。
つまり、調教の為に最適な場所であり施設なのだ、不良達が目を付けるのも当然だ。
【 実習先への移動 】
授業を終えると宿泊当番は教師の車で、動物の飼育管理施設まで送られ当日の夕刻と翌朝の実習作業を行う、朝食を終えた後に教師の車で学校に戻り授業を受ける(奴隷の私は例外)。
私は夕刻の作業を終え、御主人様と呼ぶ不良のリーダーと施設の夕食を済ませて宿泊棟に向かった。
時刻は6時、就寝時間は10:00その間が自由時間。
冬季の6時は照明がなければ暗闇である、宿泊棟に向かう途中で御主人様から来いと命じられた。
牧柵の前まで連れて行かれた、懐中電灯を消せば誰からも気付かれない暗闇だ。
逆に近づく人が居れば明りで判る為に身を隠す事も容易だ、自分達の存在を知られる事無く存分に調教を行える施設であり環境なのだ。
>>1【 浣腸訓練の目的 】
浣腸訓練も毎日続けられました。
しかし、2000ml 以上の注入には耐えられません、肉体の限界なのです。
不良達は私の浣腸限界を2000mlとして記録を残しました。
調教過程が一つ先に進められました。
新たに渡された物;それは人参を三角錐に削り出したものです。
馬の餌を拝借したのでしょう。
直径3センチ、長さ5センチ、挿入後の径2.5センチらしい物(写真撮影)。
それはアナル栓だそうです。
私は不良達の排泄管理下に置かれる事に成ります。
私の未開発のアナルに加工された人参を入れるのは簡単では有りません。
人参と肛門にハンドクリームを塗り、何度も挿入を試みました。
入るまで(完全に肛門内に飲み込むまで)帰宅を許されません。
御主人様達は部活動に行き、残った私は挿入訓練です。
時間を掛けてゆっくり、呼吸を吐いた瞬間を狙って少しずつ押し込みました。
遂に挿入完了です。
御主人様達が部活動から戻るのを一人教室で待ちました。
御主人様が戻り挿入を確認され(写真撮影)ました。
申し入れ事項:
挿入は御主人様の前で、排泄時の取り出しは御主人様の許可後。
家での排泄は自由、但し排泄後は直ぐに挿入し直す事。
アナル栓を入れたまま性処理口便器として使われる日々も続きました。
一週間が経過し、新たなアナル栓を渡されたのです(写真撮影)。
直径4センチ、長さ7センチ、挿入後の径3.5センチだそうで、明らかにサイズアップしていると一目で判りました。
驚いては居られません、そう自身で自分のアナルに埋め込まなくてはいけないのです。
不良の一人が、椅子の上にアナル栓を置きました。
座れとの意味だと直ぐに解りました、ゆっくりと腰を下ろしアナルに咥えて行きますが太くて入りません。
すると、見かねた不良の一人が手伝ってやると言い、歩み出ました。
椅子に座り掛けて居る私の大腿部に乗り上げたのです。
全体重を浴びせられアナル栓は挿入完了。
やれば出来るじゃないか、頑張れよと…その言葉は命令以外の何物でも有りませんでした。
明日から、イヤ、今から排泄の度に抜き差ししなくてはならない恐ろしい栓です。
椅子から立ち上がると出血して居ました、無理やり入れられたのですから当然かも知れません。
これまでの痴態はインスタントカメラで撮影され、アルバムが作られて居ました。
驚愕の事実でした。
こんな写真を現像する店など無いはずです、でも現実に写真が有るのです(何て事だろう)。
理由は簡単でした、五人の御主人様以外にも不良は居ます。
その一人が写真部の部員だったのです。
翌日の朝、何時もの様に御主人様達の性処理を終え、アナル栓を抜く事に成りました。
息むと以外にもアッサリと抜けたのです(自分でも驚き)。
再度挿入、少し痛みは有りましたが何とか挿入出来てアナルが埋まりました。
それから一週間が過ぎた頃にはアナル栓に身体が馴染み違和感すら薄れて居ました。
根本的に鍛え方が間違って居ますけど、若き人間の身体は鍛えれば変わるものです、季節は晩秋に成って居ました。
春、夏、秋と三つの季節が過ぎ去ろうとしています。
私の口腔は性処理と便器、奉仕用に変えられました、そしてアナルは浣腸経験後に拡張され性処理用に肉体改造されました。
>>1【縛られて】
不良達を御主人様と呼び馴れて来た頃になると暗幕で仕切られた裏側には机と椅子を移動されました。
暗幕の仕切りと言っても室内側の片側だけ、窓からは光が入り遮光の意味は有りません。
正に奴隷を躾て弄ぶ空間なのでした。
窓辺には不良グループが陣取って居るため、真面目なグループは窓辺に近づかないのです。
奴隷の私は机にうつ伏せ(腹と胸を机に押し付けられた姿)にされ、机の四本足の内の右前に右手首、左前に左手首、右後ろに右足首、左後ろに左足首を縛られ拘束されて奴隷机の誕生(写真撮影)となった。
このクラスは家畜(豚、鳥、牛、馬など)の飼育管理から生体、感染症対応なども学習過程に含まれて居る為、浣腸器や繁殖用に用いるクスコなども学習教材として利用出来ました。
【浣腸】
机と一体化された奴隷の私は御主人様が飽きて解放してくれるまでを待つ以外に逃れる術は有りません。
しかし、解放どころか私のズボンとパンツは下ろされ(写真撮影)ました。
男が男の尻を見て何が楽しいのだと不良の行動に呆れました。
だが、不良達の目的は他に有ったのでした。
そう、浣腸だ。
同年代で同姓の人間を使用した実験を計画して居たのだ。
身体にどれだけの液体が入るのか、興味本意の悪ふざけ。
不良達が準備して居た注射器は硝子(牛用だろう?)の極太(1000 ml)だ。
窓から白昼の日が差し込む下で、浣腸器の膨らんだ先端が臀部を這い肛門に触れた。
実験体は私だ。
逃れ様の無い諦め、虚しさの中で、御尻の穴に入れられる覚悟を決めた。
浣腸器(注射器)の先端は一気に差し込まれた、優しさも哀れみも無い行為だ。
浣腸器の先端を肛門内に飲み込んだ感じだと一斉に笑われた。
注入開始を宣言され浣腸液(水道水)1000 mlが挿入された、一同大爆笑。
ビックリ人間出来上がり、誰かが叫びました。
御腹が膨れ痛みました、実際は追加注入されても耐えられそうでした。
しかし、私は限界を装い許して下さいと申し入れをしたのです。
当然ですが、奴隷の泣き言など不良は誰一人聞き入れてくれません。
追加コールが起こります、追加、追加、殺せ、殺せ、入れろ、入れろ…
浣腸液(水道水)1000 mlの入った浣腸器が再度肛門内に挿入(写真撮影)されました。
今回はゆっくりとポンプを押して無理やり送液されました。
おー! こいつ二本飲込んだぜー(凄いなー)ガハァハ、ゲラゲラ。
御腹は先程に増してポッコリ膨らんで真ん丸だと笑われ(写真撮影)ます。
突然腹部の差し込みが始まり、苦しみに耐え脂汗を流し必死に耐え続けましたが限界が来ました。
無理、無理、無理、もう駄目です、御許し下さい。
漏れてしまいます(ウッ ウヮーウー…)ダメ、ダメ、ダメーと呻き声を漏らして居たと思います。
不良達も教室に排便を撒き散らし、異臭を放たれては教師にバレルと察したのでしょう。
両手首と足首の縄を解き、言いました絶対に漏らすな。
私はトイレに猛ダッシュで駆け込み排泄をしました。
排泄は終えたのですが、腹痛が治まりませんでした。
午後の授業が始まります、腹痛に耐えながら教室に戻り授業を受けました。
当然ですが成績は落ちるばかり、奴隷調教により酷使した肉体と精神では授業内容など耳に入らなかったから…当然です。
単位すら取得出来ず、不良達と補修を受ける事も多くなって居ました。
>>1【御主人様の専用便器奴隷 】
御主人様達は専用便器奴隷となった私(仮名;やらせ たいよう)に食糞も考えて居た様です、私は偶然にも細菌に関する実験を行って居た為に、糞便中の大腸菌や有害菌の知識が有りましたので説明しました。
説明したものの所詮は頭の悪い不良です、理解出来たか否かは解りません。
とにかく条件付で食糞だけは命じないと約束してくれました。
何かを得る為には何かを失わなくては成りません(食糞の拒否)。
今までトイレで行われた行為を教室内で受け入れる事が食糞拒否の条件とされました。
そして奴隷の私は排泄処理に成る事を約束してしまったのでした。
いや、約束する以外無かったのです。
教室の中で唇奉仕し、同年齢の同姓を満足させる性処理奴隷は休日を除き毎日がスペルマを飲む義務が有りました。
射精後の御掃除フェラチオは唇奉仕とセット、飲尿はおまけと呼ばれ行為を強制され続けました。
そうです、これが私の高校生活なのです。
【暗幕の仕切り】
翌日、教室の奥の窓際天井にカーテンレールが取り付けられ、床までの暗幕が張られました。
カーテンの長さは2メートル程度でした。
不良の中の一人が探し当てて来た様です。
通常は纏めて有る為に違和感は有りません、担任も気付いて居るのか居ないのか放置していました。
もっとも授業を終えれば教師棟に戻り教室には一度も来ませんでした。
教室内は自然と二分化され、廊下側は学習に打ち込む生徒、窓際は教科書すら開かぬ様な落ちこぼれ集団であった。
カーテンを引き延ばせば廊下からも中は見えません、そのカーテン内が奴隷の指定席と成りました。
差し出された男性器を咥え、排尿を飲み干す便器、それが私の姿だったのです。
>>1【 不始末の罰 】
私が飲尿中に嘔吐した為、御主人様達は溜まったスペルマを昼に抜いて居ない。
だが、御主人様達は部活に送れる事は出来ない、上級生には服従有るのみだからだ。
放課後:
おい、今日から自分の排尿を流さず全部飲めと紙コップを渡され命じられました。
当時は飲尿健康法などが紹介された時代でした、迷惑な話です。
排尿が飲める様に成るまでの間、有る条件と引き換えに一週間の猶予期間を頂きました。
それは一日一蹴りの開脚股間蹴りです。
クラスの中で蹴って下さいと自ら御願いして、蹴られると言う行為です。
この間(最大猶予1週間)は御主人様達の排尿を飲まなくて済みます。
排尿を飲める様に成るまで、一日超過する毎に一蹴ずつ追加(一人一蹴り×御主人様人数)5発/日×経過日分、股間に蹴りが入れられる(最大35発)のでした。
飲尿は例え様のない異様な不味さで不快なだけでした、しかし一日毎に5発ずつ増える股間蹴りを受ける事も出来ません。
必死に自分の排尿を飲む訓練を続け2日が経過しましたが、飲めません。
飲む為には何等かの工夫が必要でした。
そこで排尿を水で薄めて少しずつ飲み体に馴らしたのです。
徐々に濃い目に戻して飲みます(学校でも、家でも、通学途中でも)、自分の排尿を薄めないで吐く事も無く飲めるまでに二日を要しました。
努力の末に排尿を飲む命令から、四日で飲める様に成りました。
股間蹴りは20発まで増えていましたが、明日の25発は回避出来ます。
代わりに明日からは、御主人様達全員の排尿を飲む便器に成るのです。
普通の学生ならば良識ある大人になる為に大学進学を目指し勉強して居る期間です。
一方、私は奴隷に成る為の訓練を日々続けるのです、自分がとても惨めでした。
翌朝、排尿を飲める様に成った事を御主人様に報告すると、確認の為に飲まされました。
御主人様から全裸命令、私はハイと返事をして直ぐに全裸。
トイレの床に正座して天井を見上げ口を大きく開けました。
すると、排尿は口の中に溜めて溢れさせろと命令。
ペニスを咥えての飲尿で無く、距離を置いてシャワーの様な排尿を顔面、鼻、口の中に注がれました。
注がれて居る奴隷便器の姿は写真撮影されました。
口の中は一杯となり頬を伝って尿が溢れます(写真撮影)、やがて御主人様の排泄が終わりました。
飲め(ゴクリ)、少しは溢れてしまいましたが一気飲みでした。
他の御主人様は呆れ顔、マジかよ〜、信じられん、便器ジャン、便器だな御前と大爆笑…、俺なら絶対に出来ね〜、飲まされる位なら死を選ぶぜー…と便器に成った奴隷を罵倒しました。
そして、残る4人はペニスを咥えさせて飲尿させました。
咥えて飲尿:それは自分が便器に成った日の始まりでした。
その日から股間蹴りは免除です。
女装性処理便器奴隷 愛称名:矢良瀬 体用(やらせ たいよう)
本記載は高校に通う一人の男が、男ばかりのクラスの中で三年間に渡り強制的な躾を受け同年代の男達により、奴隷に変えられ卒業まで過ごした成長記録(実体験)実話である。
これは苛めでも、犯罪でもは無く、互いの利害が一致して行われたカリキュラムである。
クラスは選考科目毎に生徒が振り分けられ、クラス替えは卒業まで無く同じ顔触れで過ごす。
私の学科には宿泊実習が有り、持ち回りの当番制で月に二回ほど動物の飼育管理が義務付けられて居たのだ。
【 紹介 】
私の名前は ○○ とし○○、高校に入学する前までは普通の男の子であった。
○○ とし○○ は中学時代を遊び呆けて過ごした結果、成績はクラスでも下の上であった。
そんな私でも、思いを寄せる憧れの存在(女子中学)が居た。
声も掛けられず中学卒業となったが、彼女を想い毎日のように卑猥な幻想をしては自性行為を一日二回以上行繰り返す毎日であった。
希望する進学高受験には偏差値が足らず合格は絶望的であった為に普通科高校を諦め、県立の専門高(農業高校の畜産科)を受験し無事に入学した。
【 高校生活スタート 】
そんなノーマルな男(○○ とし○○)の平穏な人生が農業高校の畜産科に通う事で終了する事を私は知る由も無かった。
入学後の生徒は部活動を選択する、私(○○ とし○○)は成績を残せぬ運動部のシゴキを警戒して入部を避けた、そして上級生の少ない理化学系の部活に入部した。
クラスの担任とクラスメイトが紹介され高校生活が始まった。
一方、運動系の部活動を選択した生徒は上級生からの説教やシゴキによりストレスが溜まりフラストレーションの足り場を探していた。
ストレスを発散する為に文化部の自分(とし○○)が標的にされるのは必然だったのかも知れない。
そう、文化部にはシゴキも指導も無く自由だから、運動部の彼らは不公平感を抱いたのだろう。